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リトルの数学が目指すもの
「受験」を通して がんばれる子を育てたい



「受験」を通して がんばれる子を育てたい

                  リトルアメリカ 大分校 眞上 晋

 リトルアメリカは、25年前に中津で始まった、英語塾です。

 私はここで勉強して、早稲田大学理工学部建築学科に合格しました。その後、同大学大学院に進み、2年間の修士課程終了の後、戸田建設に入社しました。入社後、12年間、ビル建設の工事現場で、施工管理の仕事をしてきました。
 そして、H19年に、ここに戻り、数学・理科を教えています。
以前、リトルでは「まぁけん」と呼ばれていたので、現在は「まぁけん先生」となっています。

 ここでは、リトルアメリカの数学が何を目指しているのかを、私の経歴を交えて書きたいと思います。


●地元の高校から、東京へ、そして大分に戻るまで

・リトルアメリカとの出会い
 中学時代は軟式テニス部に専念していて、将来の目標などは、特に考えもせず、地元の中津南高校に進学しました。
 高校の入学式を間近に控えた頃、友人に誘われて行ったのがリトルアメリカでした。その時にリトルの創設者である剛先生から、‘良い大学に行くよさ’‘夢を大きく持つことの大切さ’‘できないと思うのではなく、できるためになにをするかを考えるべき’という話を聞き、単純な私は帰るときには、「東大に行きたい」と本気で考えていました。


・まずは英語に没頭
 高校1年の時は、英語ばかりをやっていました。単語、イディオム、ヒアリング、暗記文法など、次々と出てくる課題をこなすため、毎日リトルでテストを受けていました。
 また、リトルでの授業も楽しみでした。「前にやった内容をおさらいして、ちょっとだけ先に進む」の繰り返し。前にやったことを覚えなおして、次の授業で当てられた時にぱっと答えると、超褒めてくれて調子に載せてくれるのです。
 さらに、授業での話がすぐに脱線していろんな話に発展します。剛先生の知識と好奇心から出てくる話は、尽きることが無く、英語だけでなく、自分の知識の幅を拡げていくこと、身近なことに好奇心を持ってものを見ること、の大切さを教えてもらった気がします。


・数学、理科も同じやり方で合格
 ところが、数学は学校の授業に取り残され、成績は悪くなる一方であせっていました。理系に進みたいと思う私は、最も信頼するリトルの剛先生に聞いてみました。
 「数学を何とかしないといけないんです。」すると剛先生は、「数学も英語と同じように覚えたらいいやん。」と即答してくれました。「数学を覚える…???」今までに聞いたこともない発想に最初は戸惑いましたが、それまでの一年間で英語に関しては、膨大な量を覚えこんできていましたから、覚えることに対しての自信は出来ていました。とにかく、英語と同じように数学も覚えてしまうことにしました。
 まずは、その時学校の授業で使っていた参考書の例題を約百題、覚え込みました。
 約一ヶ月後、学校での試験では、迷うことなく確信を持って解答を書いてゆくことが出来、この方法で間違いないと確信を持ち、次々と問題集を暗記していき、数学の後は、物理、化学も同じやり方で進め、そして受験、早稲田大、東工大、九大の三校を受け、全て合格することが出来ました。


・リトルの仲間
 「建築なら早稲田」ということで早稲田大学に進み、修士課程までの6年間を過ごしました。1年生の頃は、いろいろなところに顔を出して、テニス、男声合唱、大分稲門会での団子汁売り、バイト、読書…。
 しかし、1年の終わり頃に建築学科の課題の大変さを思い知り、それ以降は建築に専念することにしました。唯一続けたのは大分稲門会の活動でした。その稲門会のメンバーにリトル出身者が年々増えていました。学校の合間にその連中と会って、飲んで騒いだり、学祭での団子汁屋の段取りをしたりしていました。
 いざというとき、リトル出身者のつながりは、とても信頼できるもので、私も建築学科の卒業設計制作で苦しんでいたとき、それを知ったリトルの仲間が、さっと集まって協力をしてくれて、無事に提出期限に間に合わせることができました。今でも感謝しています。


・戸田建設に就職
 大学では4年から修士課程2年間の研究室生活を経て、研究職を続けるか、就職をするかの選択を迫られました。建物を造るやりがいや、達成感への憧れがあったので、研究室の先輩のつてを頼りに戸田建設の採用試験を受け、入社することができました。
 まず横浜支店に配属となり、現場監督として現場の切り盛りの仕方を学びました。図面や書類を見たり、上司、設計者の指示を受けたり、時にはお客さんの話を直接聞いたりして、何を作るのかをよく知り、現場をよく見て、それをいかに安全に、きれいに、早く、安く作るかを計画して、うまく実際に作る職人に伝えること。ことばでは簡単ですが、その大変さを、身にしみてわかりました。
 さらに、この間に、1級建築士、1級建築施工管理技士の資格を取得しました。これは会社からの指示でもあったのですが、毎日の仕事の後の勉強で時間もなく、特に建築士の学科試験の暗記物は量の多さが膨大で、相当にきついものでした。が、あるときリトルでやった勉強方法を思い出してそれを実行していくと、次第に勉強のスピードが上がっていき、合格することができました。


・四国に転勤、リトルアメリカとの再開
 入社5年を過ぎたところで、四国支店に転勤となり7年間。ホテル、温泉娯楽施設、30階建ての超高層ビル、食品倉庫、病院、マンション、更に、各種の改修工事と様々な種類の建物の現場を経験しました。

 四国では地理的に近いこともあり、地元大分県に帰る回数が多くなりました。そんな時に、リトルの剛先生からTELがありました。「食事会にこん?」ということで、徳島から車を走らせ松山まで、翌朝フェリーに乗り込み大分まで帰ってきました。リトルアメリカ大分校の1室で食事会は開かれたのですが、実はそれは、私にある女性を会わせるためのお見合いパーティーだったのです。事情があって、その話はうまくいきませんでしたが、その時剛先生といっしょにいた、Q先生と連絡を取り合うようになり、その後、結婚することになりました。縁とは不思議なものだと思います。リトルアメリカにも度々顔を出すようになったのですが、生徒たちは、よい大学への進学を夢にがむしゃらに英語の勉強をしている様子で、それを見る度に、ちょうど自分がリトルに入って勉強をはじめた頃のことを思い出し、「今の自分もがんばらねば」と元気をもらう思いがしていました。


・リトルで数学を
 ある時、週末大分に帰った時に、自分がやった数学のやり方を教え、テストするということで、2ヶ月間くらいリトルの生徒に、教えたことがありました。しかし、その後、仕事が多忙になり、フォローができなかったことなどの事情で、思うような成果をあげることができませんでした。自分がリトルでやった数学のやり方をじっくりと教えこむことができれば、やる気のある生徒をこのリトルアメリカでつまり大分で、さらに伸ばしてあげられるのにと強く思うようになり、H19年春、決心をして大分に帰ってくることにしたのです。



●新たな仕事に就いて思うこと
 リトルアメリカに戻り、大分、中津で、中高生、浪人生を教えるようになってから、思うことがあります。

・地元といえる場所があることの大切さ
 特に中津に多いのですが、地元の中学を卒業してから、遠くの有名私立高校に通う生徒が非常に多くなっていることを知りました。生徒のほぼ全員が大学進学を目指しているので、高校は通過点に過ぎません。人生でいちばんの成長期である高校時代を地元ではない遠くの高校で過ごした人が、地元に対して愛着を持つでしょうか。地元の高校に通って、よい大学にいける方法があればそれがいちばん良いのではないかと思います。


・いざというときに頑張れることの大切さ
 先日の日曜日に、リトルアメリカでは、毎年恒例の「寿司パーティー」を開きました。これは、“みんなで米を持ち寄って、おいしい魚を買ってきて、自分達で寿司を握り、巻き寿司を巻いて、みんなで食べよう”という催しですが、大学入試を終え合格を勝ち取ったリトルの生徒達の祝勝会を兼ねています。「頑張って、頑張って、希望をかなえることができた。」「精一杯頑張ったけど、第1志望には届かなかった。悔しいけど、これで区切りをつけて、これから、このあとまた頑張る。」「合格できたけど、自分では頑張ったとはいえない。でも、勉強とは何か、頑張るとは何かということは分かった気がするので、これから頑張っていきたい。」受験生たちはそれぞれに、受験勉強を通して何かをつかんでくれたんだなと思い、今後の彼らの頑張りを期待した次第です。

 そして、リトルアメリカは、いつでも受験を通して頑張れる子を育てられる場所でありたいと、日々の指導、そして、教材作りに一層励んでいきたいと思っています。


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