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合格体験記6
リトルで夢をかなえた生徒の声です

合格体験記3
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合格体験記1



小林 悟 君 慶應義塾大学 早稲田大学 上智大学 
(大分豊府高校出身)

英語の偏差値五〇あるかないか、マーク模試(二百点満点)で百点いくかいかないか。これが僕のリトルに入る前の成績でした。部活が七月に終わり、友達に誘われてリトルに入ったのが八月。初めて行ったリトルは僕が考えていた塾のイメージとは違い、まさに「家」といった感じでした。そして先生の話を聞いて、ここなら何とかなるかもしれないと思いリトルに入りました。

最初にやったのが単語ですが、七月の模
試で九十五点だった英語が、九月の模試では一三〇点になりとてもびっくりし、また嬉しかったのも覚えています。先生が入る前に「英語は単語」と言っていたことが本当だと実感し、それから更に単語を覚えるようになりました。ただ、僕は九大を目指していたので英語だけではなく数学や理科もしなくてはならず、英語ばっかり勉強することが出来ませんでした。その結果どの教科も中途半端になり、当然九大には受からず浪人することになりました。

 どの塾で浪人するか選ぶときになんとなく九大を目指していたので、どの教科もまんべんなく勉強する必要があり普通の予備校に行くことに決めました。でも授業が始まってみると高校の授業とたいして変わらず、やっぱりリトルのやり方がいちばん合っているのだと思い、親に無理を言って予備校を辞めリトルに戻って来ました。

 浪人中、単語・イディオム・日本史・古文単語などの覚え物のテストの時は常に一〇〇点を狙っていました。自分の中では一〇〇点が当然という感じになっていたので、一〇〇点でない時は悔しかったし、次は絶対一〇〇点を取ろうと思いました。こんな感じで一週間ずつ過ごしてきたのでこの一年はあっという間でした。先のことなど考えずただひたすら目の前のテストに集中していました。そして、これだけやってきたから絶対大丈夫だと自分を信じ試験を受けました。落ち着いて受けたのがよかったのか慶應に受かることができました。
 試験の時は一人だけど、受験はやっぱり団体戦です。僕はみんながいたから頑張れました。互いに励まし合い、競い合ったからこそ一年間勉強を続けることが出来ました。みんなにありがとうと言いたいです。この年に浪人できてほんとうによかった。

 リトルの先生方とリトルの教材はほんとにすごいです。リトルで言われたことししかしていませんが、こんな僕でも慶應に合格することができました。今リトルに入っている人は最後までリトルを信じてください。リトルに興味がある人や、成績を上げたい人はリトルに来て話を聞いてみて下さい。きっと人生が変わります。


 リトルで勉強している人は、リトルのテストでいつも一〇〇点が取れるように頑張ってください。受験するまでに何回も一〇〇点を取ってください。一〇〇点を取った分だけ自分の自信になります。

最後に…先生方一年半の間お世話になりました。先生方のおかげで人生変わりました。ありがとうございました。


田原 万里安 さん 早稲田大学 上智大学 (大分上野丘高校出身)

私がリトルに入ったのは高二の終わりでした。小さい頃から早稲田大学に憧れていたのですが、高校に入ってから勉強をほとんどしていなかったつけが回ってきたのか、その頃から成績が急に下がり始め、一時期は偏差値五十七にまでになっていしました。そんな私が早稲田に釣りあうはずもないと思い、志望校が早稲田だと言うのも恥ずかしいと思っていた頃でした。でもリトルに初めて行き剛先生の「うちの教材と指導方法は日本一や」という力強い説明を聞き、またリトルの先輩方のすばらしい実績を見て、「ここならやれる」「自分も受かるかもしれない」と思いました。そしてやる気満々でリトルの授業を受け始めたのですが、毎回授業のたびにある単語やイディオムのテストが全くできず、取れても六十点くらいという程度でした。友達に負けても後輩の一、二年生に負けても「自分は部活をしているから」とか「他の人は自分より前に入っているから」とか理由をつけては逃げていました。しかし6月になり部活が終わり、いざ他の人と同じ条件になってもテストの点は伸びず、自分の勉強不足と他の人の努力を同時に感じました。その頃から勉強を本気でし始め、毎回一〇〇点を取る友人に負けないように自分も一〇〇点を取らなければいけないんだ!!という気持ちで毎回テストを受けるようになりました。そんな感じで夏休みまでは毎日英語にのめり込み、イディオム、単語、暗記構文とリトルの英語教材をやり上げました。そのおかげで八月くらいの模試では偏差値七〇くらいが普通に取れるようになりました。しかしその分ないがしろにしていた日本史は九月頃になっても基礎用語も覚えていないし、全国偏差値も下回るくらい出来ませんでした。私はそのことをあまり重く捉えておらず、いざとなったら上がるだろうと気楽に考えていました、でもある日Q先生に突然「あなた日本史がこのままだったら絶対に落ちるよ」と言われました。その言葉で自分の日本史のやばさを痛感し、勉強時間のほとんどを日本史に注ぎ込みました。週に二回ある日本史のテストは本当につらかったけど、良い点を取れたときは達成感があったし、友達と競うことで、負けたくないと思い、妥協することがなかったと思います。リトルのおかげで日本史は上がり、本番の入試でも七〜八割を取ることができました。今、受験を終えて、リトルに入って本当に良かったなあと思っています。リトルじゃなかったら絶対、早稲田や上智に合格することができていなかったと思うし、何よりリトルじゃなかったらこんなに頑張れていなかったと思います。リトルは本当に楽しくて毎日楽しいから塾に行くという感じでした。毎日の達成感もあったし、同じ大学をめざす人たちと目標に向かって努力することが何より楽しかったと思います。いろいろな入試の仕方はあると思うけど、私は早稲田や上智に入れるということより、自分の努力でその合格レベルに達せられたということが何よりも今一番嬉しいです。私の人生を変えてくれた、またすばらしい出会いを生んでくれたリトルや先生方に感謝しています。本当にありがとうございました。


芳島 奈実 さん 上智大学 青山学院大学 (明治学園高校 出身)

 私がリトルに入ったのは高一の一〇月です。入塾する前に先生達が効率よく勉強する事の大切さや高みを目指す事の素晴らしさについて話してくれました。全く頑張る事を知らなかった私でしたが、この話に納得しリトルで勉強する事を決心しました。

 まず単語を覚え始め、それが仕上がったらイディオム・暗記構文と次々に取り組んでいきました。リトルの教材は覚えやすく作られていて、繰り返す内に自分の覚える速度が速くなっていくのが実感出来ました。並行して行われる長文や文法の授業で剛先生が言う事は学校では教えてない事だけど、本当に試験にバンバン出ます。しかも先生はすぐに脱線して、面白い話からタメになる話まで色んな話をしてくれるから飽きる事がありません。

 こうして二年のうちに英語をある程度仕上げておいて、三年では日本史漬けになります。週に一回、Q先生が大分校からわざわざ来てテストを出してくれるので、そのテストに向けて決まった範囲を勉強します。Q先生のテストはかちっと覚えていないと点が取れないので、毎日必死に日本史ばかりしていました。それでも私達が怠けて仕上げてこなかったり、全体の雰囲気が悪いとQ先生が怒ってくれ、みんなでもっと協力し合って頑張る事の大切さを話してくれました。そのおかげで団結力が生まれ、一緒に頑張ってきた仲間は本当にかけがえのないものとなりました。リトルだからこそ出来た仲間だと思います。仲間だけでなく、いつもアドバイスをくれ励ましてくれた先輩達、頼ってきてくれる後輩達が出来たのも人との繋がりが強いリトルだからだと思います。すごく人見知りの私がたくさんの人と話せるようになったのはリトルのおかげです。

 そして、このリトルを絶対的に信じて頑張った結果、先生の断言した通り模試での偏差値が本当に十五以上も上がり、上智大学に合格する事が出来ました。頑張れば必ず褒めてくれ、時には叱り、いつも励ましてくれた先生達には本当に感謝しきれません。リトルで学んだたくさんの大切な事は社会に出ても忘れずにいたいです。本当にありがとうございました。


■野依 嵩司 君 上智大学 明治大学 中央大学 
(
福岡県立豊津高校出身)

人は変わらなければなりません。人は変わろうとするとき、様々なことを経験し、その度に苦労し悩みながら成長していくからです。

僕の話をしましょう。

僕はこの大分の地にやってきました。浪人するために大分の県境にある福岡県の町からやって来ました。高校三年生当時の僕は大学なんてどうにでもなるものだと思っていました。そんな気持ちで大学に通るはずもありません。しかし当時の僕はそんなことをなんとも思っていませんでした。愚かでした。

 浪人を始めるにあたって一人暮らしをすることになりました。僕は親元を離れて自由になった解放感と新しい土地でどんなことがおこるのだろうという期待感で胸がいっぱいで浪人のことなどこれっぽちも考えていませんでした。

 リトルでの浪人生活はとても楽しいものでした。とういうより他の浪人仲間が優しく接してくれ、僕を気遣ってくれてとても居心地がよかったです。大変感謝していますが、僕は少しその優しさに甘えていたのかもしれません。僕も浪人仲間と一緒におもしろいことや馬鹿なことをして浪人生活を楽しくすることに夢中でした。他の浪人仲間はそれでもやるべきことをやっていたのに

 夏が過ぎたあたりから他の浪人仲間の成績はグングン伸びていきました。その時になって僕は何をしていたんだと気付かされました。その日を境に僕は必死に勉強したけれど、開いた差はなかなか埋まりませんでした。

 そして冬になり受験する大学を決める時期になりました。他の浪人仲間は皆、先生と相談して念入りに計画を立てていましたが、僕は自分勝手に大学を決めてしまいました。それは誰が見ても無謀な計画でした。少しでも他の浪人仲間に追いつき並びたいという焦りや不安からでした。そんな安易な考えで受かるほど世の中甘くはありませんでした。不合格の言葉を聞くたびに僕は落ち込んでいました。自分で蒔いた種なのに。そんな僕を他の浪人仲間は励ましてくれました。本当は僕の方こそみんなを祝福するべきなのに

 こんな僕を応援してくれる仲間がいる塾だからこそ二浪もまたリトルしかないと思いました。そしてもうひとつ、同じ事を繰り返さないためには自分が変わらなければならないと心に決めました。

 新たな決意のもと二浪目が始まりました。もう甘えることは許されません。できる限りのことを自分ひとりでするようにしました。現役生だけじゃなく一浪生も僕を二浪として見ていますから見本になれるように頑張りました。苦しくても弱音を吐かないように、できなくても言い訳をしないようにして、みんなの前では常に明るく振舞いました。苦しくなって挫折しそうになったことも何度かありました。そこで先生や他の仲間に相談すれば、みんな手を差し伸べてくれたでしょうけど、そうしたら昔の自分に戻る気がしました。みんなの手を借りず、あえて自らの手で乗り越えられるかどうか試したかったのです。

 耐えました。ひたすら耐えました。自分の不甲斐なさにいらだちを覚え、家で泣いたときもありました。これが自分の試練なんだと心の中で繰り返し、歯を食いしばり耐えてきました。そうやって忍耐力がついたおかげでしょうか。秋ぐらいから僕の成績も伸びてきました。

 そしてまた受験校を決める時期になりました。今度は十分勝負できる力がついていました。自分を変えると決意したあの日から早一年。僕は今年、上智大学に合格しました。浪人として過ごしたこの二年間、思い返せばとても早いものでした。

 実をいうと僕の第一志望は別の大学でした。本当は早稲田に行きたかったのです。けれどあと一歩のところで手が届きませんでした。正直な気持ちを言えば残念、いや悔しいです。この二年間目指してきたものをつかめなかったのですから本当に悔しいです。

 高三のときの僕はこんな気持ちをもっていませんでした。一生懸命、努力して苦労して積み上げてきたものがあるからこそこうして悔しいと思えるのです。中途半端なことをしてきた人間にこの気持ちは分かりません。この悔しさを言葉にしようとすると声が震えます。目頭が熱くなり、涙がこぼれてきます。
けれど今は悔しい気持ち以上に嬉しい気持ちがこみ上げてきます。自分がこんなに変わることができたことに喜びを感じています。

 文句も言わず僕のわがままに付き合ってくれた父さん母さん、僕を信頼してくれた先生方、そして共に浪人を過ごした戦友ともいうべきリトルの仲間たち、みんなに感謝します。

 リトルは人を育てる塾です。ここには人と人とのつながりがあります。教育もまた人と人とのつながりでできています。人の血が通った教育でなければ人を育てることはできません。僕はこのリトルにいたことを誇りに思います。

 人は変わらなければなりません。人は苦悩し、挫折を味わい、そこから生まれ変わろうとする時、かけがえないもの得ることができるからです。


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