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いい先生とは



■こんな先生がー

■こんな先生が――

以前、中学校の頃だったと思います。
新しい先生が赴任してきて、

「もし、授業中に眠くなったら、眠ってもいいし、内職したければすればいい。また、あまり聞きたくなければ、聞かなくてもいい。
ただ話だけはするな。
うるさくすれば他の、授業を聞いている生徒に迷惑だ。他の人に迷惑をかけないことが大切だ。」

と言ったのです。

私はその言葉を聞いて本当に驚きました。
普通、授業中にこっくりしていたら、必ずしかられていましたから、“この先生は一体どんな人だ”と不思議な思いがしていました。

しかし、いざ授業が始まってみると、眠る生徒など全然いません。
この先生の担当は日本史でしたが、毎回が楽しくて、全員がすっかり引き込まれて、授業に集中しているのです。
私は今でもこの先生の言葉をそのまま思い出せるぐらいです。

ただ先生の授業はゆっくりでした――たとえば邪馬台国がどこにあったかといったことにも充分時間をさいてくれて、ここかもしれない、あそこかもしれないと、私たちをこの古代史最大のロマンに誘い込んでくれたのでした。
そのおかげで一学期が過ぎても、授業はほとんど進行していないといった状況でしたが、しかし、私はこの授業のおかげで歴史に興味をもつことができ、今でも歴史が私の一番の趣味となっています。


学校の授業で大切なのは、子供の中に興味を生み出すことではないでしょうか。
その子にその学科がいかに楽しいかを教えれば、後は子供たち自身が興味を持ち続け、勉強し続けるのです。
授業でここまでしか進まなかったなどということなどが大きな問題ではありません。

それよりももっと大きな問題は、その子に興味を持たせられなかった時です。
この場合は計り知れない損失を引き起こすのです。
その結果、その子は一生その学科を楽しめず――要するに、それはある一人の人生――その生き方、職業の選択などに大きな影響をもたらします。
この罪は授業が予定のところまで進まなかったといった程度の問題とは次元が違う大きな問題です。
もし興味を持てたのなら、先生が進まなかった部分も自分で学べるからです。


 この先生は――自分の授業中に、他のことをしたければすればいい、眠りたければ眠ればいい、が、しかし、必ず自分の授業に引き戻してやれるんだ――という気迫があったのでしょう。自分の授業に自身を持っていたからこそ、「眠たければ眠ればいい」という言葉になったのだと思われます。

 おそらく、こんな先生なら、もし生徒が授業を聞かないなら、どうして聞かないのかと自問し、聞いてくれる授業にするのにはどうしたらいいのかを研究するのでしょう。だから、自信満々なのです。

 それとは反対に、授業中に眠ったりすることに腹を立てたり、内職している生徒の教材を取り上げたりする先生は自分の授業に自信がないからでしょう。

 生徒の側にとっては――授業に出席するのは義務として仕方がないが、しかしその先の授業を聞くか、聞かないかは、理論的には個人の勝手ではないかといった主張もあるのではありませんか。
また、授業の内容も、もし東大を受験したいと思っている生徒にとっては、ある程度以下の授業では退屈すぎるし、また短大を受験したいと思っている生徒にとっては難しすぎるといった場合もあるでしょう。

クラス40人前後の場合、その中間の程度に合わせるとしたら、最上級の生徒にとっては、“つまらない”し、最低のレベルの生徒にとっては難しすぎるという状況になります。
もちろんそんな差があるときでも、授業そのものを楽しくする方法はありえますが、一部の生徒がつまらないと思ったり、とても手に負えないと思ったりすることはありえるのですから、物理的にもすべての生徒に緊張して聞くことを要求することは不可能ではありませんか。

 もし、あるお菓子屋さんが、自分ところのケーキが売れないとき、「お客が悪い」と、わめいても仕方がありません。
そんなときそのお菓子屋さんは“どうすればお客さんの要求に合わせられるのだろう、どうすれば本当に売れる商品が作れるのだろう”と研究を重ねるに違いありません。
買ってくれないお客さんに「買わないお前が悪いんだ」と怒り出すことなどありえないのです。

 こういった意味で、生徒を怒ったりする先生は甘えています。こんな時、じっと耐えて、自分の授業を研究しなおす必要があるのです。
内職されたり、居眠りされたりするのは自分のせいだと謙虚に受け止めて、どうしたらいい授業になるのかを問い詰めることが大切なはずです。

 しかし、現実はむしろこの反対で、このようなことに気づいている生徒を生意気だとか、生活態度が悪いといって非難する傾向にあります。これは公平ではありません。

 ただ、こんなことは小中学校の生徒にあてはまるものではありません。まだ大人としての扱いのできない年頃の子供にこのようなことをいっても仕方ありません。
 しかし、高校生ともなれば――まだ子供の部分はあるとしても――大人としての判断能力を備えている部分も多いのです。
我々はこの生徒たちをむしろ対等の大人として扱うことが必要なのではないでしょうか。

 子供だから、この程度言っておけばいいのだとか、といった態度は、本当はすっかり見通されていて、生徒の方から見下されているのかもしれません。
生徒を扱う私たちは本気でいつも本当のことを伝えるのでなければ、彼らの信頼などを勝ち得ることなどできないのです。

 私は努力する生徒にいつも敬意と尊敬を感じています。尊敬とは年下の子が年上の大人に持つものではないような気がするのです。
それは裸の人間同士が素直な気持ちで相手に対して持てるものなのでしょう。
私は自分の子供ほどの年齢の人間に何度も何度も尊敬の気持ちを持ってきました。

 彼らがひたむきに努力している姿は美しく神々しく――そんな姿を見る時、「本当にこの仕事をしていてよかった」と思わせられます。


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